HISTORY 歴史

今も昔も自然豊かな
大名や旗本の武家地が存在した
大切に受け継がれてきた邸宅街

古くは大名屋敷が軒を連ねた邸宅地

外観|麻布台パークハウス
江戸時代、青山、赤坂、麻布にかける台地の大部分は大名や旗本の武家地でした。『麻布台パークハウス』が位置する場所(ロシア大使館敷地も含め)には、陸奥三春藩五万石(現在の福島県)秋田安房守の中屋敷があったとされています。また明治以降は、日本海軍草創期の海軍卿川村純義伯爵邸となりました。敷地内には、イギリスの建築家ジョサイア・コンドル設計による二階建ての木造洋館があったことは、当時の地図からも伺うことが出来ます。

歴史ある坂道

狸穴坂|麻布台パークハウス
『麻布台パークハウス』に近隣する「東京アメリカンクラブ」の裏手には、江戸時代から存在する「狸穴(マミアナ)坂」があります。マミとは雌ダヌキ・ムササビまたはアナグマの類で、昔その穴が坂下にあったことに由来しているという説もあり、古より自然があふれる場所であったことが伺えます。

日本経緯度原点

日本経緯度原点|麻布台パークハウス
隣接する敷地には、1892年(明治25年)に、東京天文台の経度観測の観測台である子午環の中心に定められた「日本経緯度原点」があります。1923年(大正12年)の関東大震災により、子午環が大破したため、その跡地に日本経緯度原点を示す金属標が設置されています。
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